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【アラベスク】  第15章 薄氷の鏡



第2節 似て非なる [5]




 彼が自殺をするような生徒だとは思えない。多くの生徒がそう口にする。美鶴も、彼の事を詳しく知っているとは言えないが、自ら命を絶つような人間には思えない。

「大迫、お前、キスをするのはこれが初めてじゃないよな?」

 悪い事をしたなどとは露ほども思っていないであろう態度で口元を拭った男。

「好きな奴、いるんだろう?」

 なんでも見透かしていると言いた気な瞳。
 あんなにふてぶてしくて何を考えているかわらかないような男が、果たして自殺などをするだろうか?
 何を考えているかわからない。だから、自殺だってしかねない。
 そういう事なのだろうか?
 ふてぶてしい人間が自殺なんてするワケがない、という考えは、偏見だろうか?
 自殺した事がないから、わからないよ。
 小童谷の事件は、ある意味美鶴にとっては好都合でもあった。
 新学期、校内の話題は小童谷一色。美鶴と瑠駆真の携帯写真が忘れ去られたワケではないが、美鶴に噛み付いてくる生徒はかなり減った。
 逆に、瑠駆真への注目は増した。
 携帯写真の件で、瑠駆真が小童谷に何かをしたのではないか?
 校内ではそのような憶測が広がっている。
 もちろん否定派も多い。
 瑠駆真様と慕う信者のような者や、もともと柘榴石倶楽部とかいう集団に参加している者たちは当然反論しているが、それだけではなく、中立的な立場で物事を判断しようとしている生徒の間でも、瑠駆真のような人間が小童谷を自殺に追い込むだろうかと首を捻る者がかなりいるのだ。
 瑠駆真のような、優しくて、物腰柔らかで、いつも冷静沈着、誰に対しても分け隔てなく接し、閑雅(かんが)や静淑などといった言葉がぴったりな少年。そんな彼が、小童谷のような生徒を追い込むなどといった芸当ができるとは思えない。
 人懐っこく誰とでも楽しげに語る一方で、どことなく気怠るそうな雰囲気をも漂わせている小童谷陽翔。父親は日本人だがイギリスの有名な製茶会社の重役。母親はこれまた有名なグリーンアドバイザー。幼少の頃より海外での生活を経験し、経済的にも恵まれた存在。英国王室の関係者とも親しく付き合える立場だという噂も流れたりする。まさに誰もが羨む華やかな生い立ちで、故に唐渓でも羨望の眼差しを向けられる事は多い。女子生徒からの人気も高い。
 だが、こんな事件を起こした後で、人々はこう囁く。
 所詮は民間人だ。
 山脇瑠駆真は、小国とはいえ一国の王族なのだ。そのような高貴な血筋の人間が、果たして人を死へ追いやるような真似など、するだろうか?
 周囲とは、勝手なものだな。
 美鶴は冷めた感情で瞳を細め、そこでふと足を止める。
 王族。
 王族と皇族の違いなど知らないが、瑠駆真は実はそのような身分だ。一般市民とは違う、美鶴のような貧民などとは天と地ほども違う世界の人間。
 想像できない。
 美鶴にはいまだに理解できない。瑠駆真自身がそのような扱いをしないでくれと言っているからなおさらだろう。身分に拘らないその姿勢が、また周囲に好感を与えている。
 あんな謙虚な人が、他人を追い込むなんて。
 人は、それまでに植え付けられたイメージで物事を検証しがちだ。小童谷の事件は瑠駆真が原因ではないかという噂が流れつつも、瑠駆真を咎めるような雰囲気はない。なにより学校側がそのような言動に無言の圧力をかけているようだし、瑠駆真が劣勢に立たされる事はまずないだろう。
「別に私には関係ないんだろうけどさ」
 呟く声が、少し虚しい。
 これがもし瑠駆真ではなく自分であったとしたならば。もし小童谷の自殺の原因が自分ではないかといった噂が流れたとしたならば、事態はこうはいかなかっただろう。再び自宅謹慎などといった理不尽な扱いを受けたかもしれない。最悪の場合、退学だってありうる。
 別に私は構わない。所詮は自分なんて嫌われ者で、学校にとっては厄介者でしかないんだから。
 その言葉は、美鶴が唐渓に入学してから幾度となく胸の内で呟いてきたものだ。だが今、その言葉には以前のような刺々しさがない。代わりに、どことなく歯切れの悪さが目立つ。
 なぜ自分は、瑠駆真にあんな事を言ってしまったのだろう?

「お前達の諍いのせいで、こっちは迷惑してるんだ。どうしてアンタ達がモメてるのか、理由を知りたいものだわね」

 小童谷陽翔と山脇瑠駆真。二人がどのような関係なのかなど、美鶴には関係の無い事だ。たとえ二人の関係に巻き込まれたとしても、それまでの美鶴だったら、自分は関係がないなどと言って距離を取り、無関心を装ってきたはずだ。それがなぜ、知りたいなどと言ってしまったのだろう?
 本当に知りたいと思っているのだろうか? それとも、噂になりながらも周囲に護られ、立場の悪くならない瑠駆真に、嫉妬しているのだろうか?
 嫉妬? バカバカしいっ!
 思いながら、否定する言葉が白々しい。
 自分よりも恵まれていて、護られていて、愛されている瑠駆真。頭も良く冷静で、優雅で、見た目も綺麗で女の子なら誰でも見惚れてしまう漆黒の双眸。嘘をつくならわからないようについてくれと、まるでこちらの悪足掻きなど通用しない、何においても上手(うわて)な相手。
 何においても。

「君はそれほど霞流を想ってはいないのか?」

 馬鹿にするなっ!
 右足でアスファルトを蹴る。
 私だって、私だって本気なんだ。本気で霞流さんの事が好きなんだ。
 そこで大きく息を吸う。
 好き。その言葉に間違いはない。好きだから振り向かせたい。その想いにも間違いはない。
 だが今の美鶴は、例えば瑠駆真のように、諦めてくれと言われても健気に想いをぶつけるなどといった行動が、取れないでいる。何もできないまま、新しい年を迎えてしまっている。
 何か行動しなければと思いながら何もできないでいる自分の姿を、瑠駆真に見透かされているような気がする。
 だって、どう動けはいいのかわからない。下手に動いて逆に霞流さんに嫌われたらどうしよう。馬鹿な女だと軽蔑されたら、どうしよう。
 そう思って動けないでいる自分は、瑠駆真や聡と比べて、明らかに臆病だ。
 本当は霞流の事など、それほど想ってはいないのではないか?
 違うっ!
 言い返しながら、どこかで負けている自分を自覚する。
 負けたくない。
 軽く下唇を噛み、モヤモヤとする胸の内を振り払うように顔をあげた。だが、足は動かなかった。大きく一回瞬きをし、目の前の光景を凝視する。
 コスプレってヤツ?
 帰宅を急ぐ人々が行き交う駅前で、明らかにウィッグだろうと思われる奇抜な髪の毛を北風に靡かせながら、ヒラヒラとした、あるいはゴテゴテと着飾った衣装を身に纏う集団。周囲の好奇な眼差しなど気にする様子もなく、時折向けられる携帯に向って気軽にポーズを取る者までいる。
 はぁ、すごいな。
 その姿もさることながら、公然と自分の世界を披露するその度胸に感服する。
 幸田(こうだ)さんも、あんな格好とかするのかな?
 霞流家で使用人として働く女性。彼女もあのような衣装を着るのが好きだといっていた。
「劇場で働いていた時にはよく着ていましたのよ。自分で作ったりもして、本当に楽しかったですわ」
 あっけらかんと言われては、はぁそうですかとしか答えようがなかった。







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